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  • 執筆者の写真たまらん

チームたまらん「大浜町を歩く」

こんにちは!まだまだ夏の暑さが続いていますね…早く冬が来てほしいと思うばかりです。

今回のブログは私、大塚耕平(おおつかこうへい)が担当します。たまらんメンバーで唯一の男性ですが、ほかのメンバーに負けないようにがんばります(笑)

広報たまなの9月号では「大浜町」についての記事を掲載させていただきました。今回のブログでは広報たまなに載せきれなかった情報を中心に、大浜町の魅力についてお伝えしたいと思います。


まず始めに、みなさんは大浜町についてご存知でしょうか?大浜町は菊池川の左岸の河口側に位置し、農業地帯が広がっている地域です。また、米作のほかにも施設園芸のトマトやメロン、イチゴの栽培も盛んな地域でもあります。

今回、私達が大浜町を取材することになった理由は、広報たまなで記事を書く際に、イベントだけではなく、一つの町についても記事を書きたいという思いからでした。そのなかでテーマにしたい町を考えていく中で、この大浜町が広報誌などであまり取り上げられたことがないということから、外部の視点から情報を伝えるというチームたまらんの考えに適していると思い、この大浜町を調べることになりました。私達は、この調査を通して大浜町が想像してたよりはるかにすごい町だということを感じました。


今回の調査では「大浜町まちづくり委員会歴史文化伝承部会」の方々にお話を聞くことが出来ました。その一員である田邉達夫(たなべたつお)さんは、なんと御年が88歳。田邉さんは太平洋戦争時代に、大浜飛行場の滑走路作りなどにご尽力されていました。戦後は、お兄様の田邉哲夫(たなべてつお)さん(田邉哲夫さんは玉名市歴史博物館の館長も担っていたそうです)とともに玉名市の歴史・文化の伝承、推進にご尽力なされています。取材当日は生憎の雨模様でしたので、大浜町の公民館で取材をさせていただくことになりました。また、その際に大浜町に関する多くの資料を頂きましたm(__)m


▲貴重なお話を聞くことができました

▲大浜町に関する様々な資料を頂きましたm(__)m

大浜町の歴史のルーツはとても古く、誕生は1300年前の飛鳥時代にさかのぼります。景行天皇が戦勝を祈願された場所が、この大浜町だと言われています。

次に、平安時代(1069年)には外嶋住吉神社が勧請されました(勧請:神仏の分身・文例を他の地に移して祭ること)。この神社では底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神と、健磐龍命(たけいわたつのみこと)を御祭神としています。住吉三神は航海の安全や大漁、商売繁盛を約束する海の神様として、健磐龍命は阿蘇神社の御祭神で主祭神として祀られています。また、住吉三神をお祀りする神社は全国に2129社もあるそうです。

そして、この外嶋住吉神社では10年から20年ごとに豊漁・五穀豊穣を祈願する祭りである年紀祭が行わています。この年紀祭は菊池川流域日本遺産の構成文化財に指定されています。


その後、時代は江戸時代に進み、大浜町は栄光の道をたどることになります。当時、四蔵米の一つとされていた肥後藩(熊本県)のお米は高瀬町の藩倉に納められ、回船によって運送されていました。しかし、経済発展と河川の堆積作用によって高瀬は港としての機能を果たすことができなくなってしまいました。その代わりとして、3km下流の河口に位置していた大浜町が急速に港町として形成され、海運業の中心となっていきました。このことにより、周りには船問屋や油屋、綿屋などの多くの問屋がつくられていき、特色ある港町を形成していったそうです。


ところが、江戸時代が終わり明治時代になると大浜に代わり三菱や三井といった新興財閥が海運業の担い手となり、大浜町はかつての賑わいを失っていったそうです。しかしながら、大浜町はその後、大きなターニングポイントを迎えます。かつての盛り上がりを取り戻すべく、大浜町は、当時、難しいとされていた海苔の養殖産業を始めます。その中で海苔の養殖化に大きくご尽力された人が早野義章(はやのぎしょう)さんでした。早野さんは大浜小学校の元校長先生でもありました。早野さんは住民の生活をすこしでもよくするために、自ら手本を示そうと学校を退職し、私財も投じて海苔の養殖化に努めたそうです。早野さんは2011年に県近代文化功労者に選ばれました。この人なくして、有明海の海苔養殖産業ないし海苔養殖産業の発展はなしえなかったのかもしれません。


さらに時代は進み、昭和18年に福島県を本校とする太刀洗陸軍飛行学校18分校の一つとして玉名教育隊が開隊され、大浜飛行場が開かれました。田邉さんは当時中学生で、この大浜飛行場の滑走路作りや中学校(現在の玉名高校)で飛行機の空芯づくりに努めていたそうです。田邉さんは「あの時はすごくきたえられたもんだ…」としみじみとおっしゃっていました。人の手で建設作業を行うことが如何に大変なものなのか、私にはとても想像できません…(;´・ω・)

そして戦後からの復興を経て現在の大浜町がつくられて行きました。今回のお話を通して、大浜町は歴史と伝統が詰まった町だということを改めて感じました。


そして、お話を聞き終わったその時、なんと空に晴れ間が!!取材後は大浜町まちづくり委員会歴史文化伝承部会の皆様と、街歩きを通して、お話で聞いた施設や史跡を訪れることが出来ました。


▲大浜飛行場跡地にて当時の戦況をお聞きしました

▲廻船問屋の建物の一部が現在も残っています

▲日本初の海苔養殖産業跡地にも訪れました

江戸時代に港町として栄えた廻船問屋の一部の建物や明治時代に開業した海苔養殖産業跡地、太平洋戦争の時に作られた大浜飛行場の跡地など、実際に私達の目で見ることを通して、大浜の町についてさらに詳しく学ぶことが出来ました。街歩きの際にも、大浜町まちづくり委員会歴史文化伝承部会のみなさんが町の施設や史跡について、私達に丁寧に教えてくださいました。


「この大浜町を知ってもらいたいという思いが私の根っこですね。」

日々の活動を行う上での源は何かをお聞きしたところ、田邉さんはそのようにおっしゃいました。そして、「魅力を伝えるためには、やはり、伝える人が必要不可欠になる。そして、これからは私達だけでなく若い世代の人達が重要になるので、ぜひ大浜町の良さを若い人達に知ってもらいたい。」と、田邉さんは私達に熱く語ってくださいました。

大浜町、そこには人々の挑戦と経験が詰まった、素晴らしい町でした。

大浜町まちづくり委員会歴史文化伝承部会のみなさん、本当にありがとうございました!


▲大浜町まちづくり委員会歴史文化伝承部会のみなさまと

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!

これからもどんどん玉名の魅力について紹介していきたいと思います。

来月号は「稲(いいね!)が彩る 田んぼアート」についてお届けしますよ~!

それでは、また次回!!

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おわりに(たまらんメンバーからへのメッセージ)

8月号から4月号まで、「県立大生が玉名を探検・魅力を発見 たまらんセレクト」をありがとうございました。この一年間、玉名市でたくさんのイベントに参加し、玉名人(たまなびと)と出逢い、お世話になりました。活動を通して、たくさんの良いところを知ることもできました。 最後は、teamたまらんのメンバー(川上・笠原・小島・大塚)の感想で、ブログを終わりにしたいと思います。 【川上由華】 担当:「花しょうぶま

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